ブログでの面白い文章の書き方のコツを教えるライティングクリエイト講座第3回は「限定的不合理の概念」です。
おそらくこの言葉は誰も聞いたことが無いと思う。私が独自に名付けた理論です。自分の中でもうまく言語化しづらい部分はあってどう表現するのか悩んだけど「限定的不合理」が一番しっくりくる気がしたのでこう呼びます。
難しい表現をしたけどこれも世の中にある数々のお笑いの根本となる要素です。
いつ・誰が・どこで・何をした?
限定的不合理の概念は「いつ・誰が・どこで・何をした」ゲームを考えてもらうと分かりやすいです。小学生の時にレクリエーションでやりましたよね、これ。
様々な種類の単語を書いた紙を「いつ」「誰が」「どこで」「何をした」の4つのセクションに分類し、それらをランダムに取り出すことで不合理な文章を作ってその滑稽さを笑うというものです。
「昨日の夜 山田君が 校長先生の頭の上で おしっこした」
とかこんな感じのやつですね。
この例はあんまり面白くないかもしれませんが小学生が考えそうな単語レベルなんでこれくらいにしときましょう。小学生なら大爆笑間違いなしです。
私のような大人が考えると「誰が」の部分で
「アーノルド・シュワルツェネッガーが」
とか思い浮かんでるんでかなり不自然ですw
さて、この文章なんですが普段何でもない時に言っても別に面白くないんですよね。
なぜこの不合理な文章が面白いのか?それは
「不合理を作り出さざるを得ない限定的な状況」
がカギなんですね。これが限定的不合理の概念です。
つまり
「紙をランダムに取り出して文章を作る」
という限定的な状況から生まれた
「昨日の夜 山田君が 校長先生の頭の上で おしっこした」
という不合理な文章。
世の中に色々ある「限定的不合理」
実はこの限定的不合理の概念は世の中の笑いの中にたくさん詰まっています。
古くは「タモリのオールナイトニッポン」の1コーナーとしてあった「つぎはぎニュース」というもの。これはNHKニュースを勝手につなげて変な文章を作り出すというコーナーです。
「いつ・誰が・どこで・何をした」ゲームと似ていますよね。これも「NHKのニュースをつなぎ合わせる」という限定的な状況から生まれた不合理。
これに近いものにラジオ番組「爆笑問題カーボーイ」の「CD田中」というコーナーがあります。これは番組内で爆笑問題の田中裕二が喋ったセリフと音楽をつなぎ合わせるというものです。
動画を貼っておきます。まあ全部聞いてると20分以上もあるんで聞く必要はありませんが、普通に面白いので
暇があったら聞いてみてくださいw
最初の作品は岩崎良美の「タッチ」で
♪お願い タッチ タッチ ここにタッチ あなたから タッチ
田中「〇〇〇〇〇!」
って感じで無理やり田中のセリフをくっつけてます。
これって過去の田中の台詞を無理やりくっつけているから面白いのであって、リアルな田中が同じこと喋っててもあまり面白くないですよね。これも「過去の田中の音源からつなぎ合わせる」という限定的な状況から生まれた不合理。
ニコニコ動画のMADなどもこれに近いですね。松岡修造、ドナルド、アカギなど限られた音源を素材にして無理やり音楽にくっつけたりアニメに登場させることでおかしさを作る。
SiriやGoogleアシスタントといったスマホの音声認識サービスに質問したときに支離滅裂な答えを返してくるときの面白さも限定的不合理です。
昔さまぁ~ずがやってた「悲しいダジャレ」というギャグも限定的不合理です(多分今もライブではやっていると思う)。
猫が寝込む
・・・永遠に。
悲しいよ!
ってやつですね。これは「ダジャレを使う」という限定的な状況から不合理を生みだしている。
そしてこれは限定的不合理だけでなくフリとオチ(第1回ライティングクリエイト講座を参照)
も綺麗に決まっています。
ダジャレの延長戦上で世界観を作ることで「外しすぎない」。
下らないダジャレから一転、悲しい一言を最後に添えて「意外性を演出」。
さらに言うと悲しい一言を添える時の大竹の悲壮感のある顔と勢いのある三村ツッコミが合わさって面白さが倍増する。
さらにさらに言うと悲しいダジャレを連発することで「悲しいダジャレを言うこと」自体をフリにして「変なダジャレ」「もうそれ悲しいダジャレじゃなくね?」という形にどんどん発展していく、という実は超高度なテクニックが使われている。
ちなみにさまぁ~ずの「悲しいダジャレ」は本にもなってるんで上のような悲しいダジャレ集が楽しめます。もちろん私も買いました。
正に「文章だけで笑わせる」を地でいくような本ですね~。私は悲しいダジャレが好きすぎるので少し長くなりましたw
話が脱線するのでこの辺にしておいて、何となく限定的不合理の概念が分かってきたでしょうか?
世の中の笑いの色んなところに使われている基本の要素がこの「限定的不合理」なのです。
日常会話の限定的不合理
こういうネタだけでなく日常会話においても「限定的不合理」は使うことが出来ます。
そして何も不合理というのは「不合理な文章」に限った話ではなくて「不合理な状況」でもいい。不合理というと難しいかもしれないからもっと簡単に「変な状況」とでも言いましょうか。
例として、私が男友達と話していた時のエピソードをあげましょう。
その友達は銭湯に一人で行った時に疲れて寝てしまっていたところ、ふと目を覚ますと知らないおっさんに体をベタベタと触られていたんだそうです。友達はすでに起きていて咳ばらいをすることで起きてるアピールしたものの
おっさんは全く気付かず行動はどんどんエスカレートしていった。最終的には怖いので諦めて寝ているふりをしてやりすごしたそうです。
このエピソードを聞いた私は
「入ってきた人は驚くよな。いきなりゲイカップルがイチャついてるんだからw」
と言いました。
友達の過去のエピソードという「限定的な状況」から変態二人がイチャついているという「変な状況」を作り出した。まあこの例はその状況を客観視する「俯瞰」の要素も入ってたりするけど。
ちなみにその友達はゲイではありません。変態ではあるけどw
私は常に日常会話の中で「この限られた状況で変な状況を作り出せないか?」という思考を働かせています。まあ癖みたいなもんですね。
それは例としてあげた「相手が過去のエピソードを話している時」だったり「今自分たちが置かれている状況を俯瞰的に見た時」だったりいろいろある。
思考としては
「冷蔵庫の余りものだけで工夫してうまいものを作り出す」
って感じですね。
この限定的不合理の概念というのは「こうすれば面白く書ける」「こうすれば面白く話せる」という具体的なテクニックというよりは常に持ってほしいマインドセットというような位置づけになります。
会話そのものがすでにその世界観が限定されるので不合理を生み出しやすくなる。もっと言えば「変なことを言っても許される権利を与えられる」という感じ。
突然変なことを言ってもただの変な人だけど自然な会話の流れに沿った材料から作り出す「変なこと」は限定的不合理となっておかしさを生む。
これは第1回ライティングクリエイト講座「フリとオチ」の要素である「外しすぎない」にも通じる考え方です。元々ある材料の中で世界観を作れば「外しすぎない」を満たせるからです。
会話に限らず文章にも同じことが言えて、自分の文章という限定的な状況から作り出せる不合理というのはたくさんあるはずです。
そしてそれは限定的不合理の概念を意識することで生み出しやすくなる。「例え話」なんてのも限定的不合理の一つですね。
私がよく妙な例えをするのは、例え話というものが「不合理を生み出せる限定的な状況」そのものだからです。
第1回ライティングクリエイト講座「フリとオチ」の時に池乃めだか師匠がチンピラにボコられた時に
「今日はこのくらいにしといたるわ」
ではなくて
「へんじゃらもんじゃらすいっちょぺーん!」
という奇声を発したら面白いのか?いう話をしましたがこれも限定的不合理から来ています。
あくまでも例え話という限定的な状況下で「奇声を発しても許される状態」を作ったのです。「ゴキブリ語」も「こういう大喜利があったなら」という例えですね。
日常会話レベルだと「大げさに言う」というのも限定的不合理の一つ。例えば甘いものがあまり好きではないと言っている人に対して
「甘いものを食べている人に殺意を抱くんだっけ?」
とか。
さて、前半のネタ解説と後半の日常会話はまったく別のことを話しているように思えたのではないでしょうか?
そう思ってしまうのも無理はない話です。というのもこの「限定的不合理の概念」というのは世の中のほぼすべてのお笑いに関わってくるとも言える大きな概念だからです。
これを細分化していくと個別のテクニックになるという感じですね。だから実例を聞くと同じ話には聞こえないように思えてしまう。
しかしイメージしてもらいたいのは
「冷蔵庫の余り物で美味しいものを作る」
ということ。
この視点で見ると前半の話と後半の話に共通点があることに気づくと思います。
今回の話は少し難しかったかもしれませんが、これも笑いにおける基本要素なのでなるべく最初の方に話しておこうと思いました。
ブログでの面白い文章の書き方のコツを教えるライティングクリエイト講座第3回「限定的不合理の概念」は以上です。