ライティングクリエイターの菊地です。

 

 

今回はブログ記事における「会話文」と「地の文」のバランスについてのお話です。

 

 

最近、架空の登場人物同士が吹き出しで会話する形式のブログ記事が増えていますよね。

 

 

AA

最近、僕らみたいに会話文の形式で記事を書いている人多いよね。

BB

確かによく見るよね。誰が最初にやり始めたのか知らないけど。

AA

でもこういう会話文を使わない記事もあるからどっちが良いかはっきりさせたいよね。

 

こんな感じのやつですね。

 

会話文に対して会話以外の叙述や説明文のことを「地の文」と言いますが、
この「会話文と地の文のバランス」というのが文章を書く際に問題になってきます。

 

私は記事を書く際にこの会話文というのは全く使わず、
自分の感情などを書いたりすることはあるものの基本的に
ほぼ「地の文」だけで文章を書いています。

 

何故なら、

会話文を用いることによるメリットは無く、むしろメッセージの説得力が薄れる

と判断したからです。

 

小説なら話は別ですが、情報提供型の読み物であるブログをビジネス目的で運営するのに会話文を用いることは適していません。

 

こちらでは

・何故、ブログ記事に会話文を用いることは適していないのか?
・何故、地の文で記事を書いた方が良いのか?

ということを一般的に言われているメリットも含めて説明していきたいと思います。

記事に会話文を挿入するメリットとは?

ブログ記事において何の意味もなく会話文を使っているわけではなく
何らかのメリットがあって使っているわけですが、考えられるのは

 

1.会話形式にすることで堅苦しい説明ばかりの文章を柔らかくすることができる

2.文字数を水増しすることができて検索上位表示できる(SEO対策)

3.言いにくいことを客観的に語れる

 

といったところでしょうか。

 

ただ、私自身はこうして挙げたメリットもそれほど効果的とは思えません。

 

冒頭でお話したように

・あえて会話文を使う必要性はない
・むしろ会話文は使わず地の文だけの方がよい

という結論になってくるのですが・・・それぞれ詳しく説明していきたいと思います。

1.会話文にすることで堅苦しい説明ばかりの文章を柔らかくすることができる

会話形式の記事というのは「パッと見」で雰囲気が柔らかく見えるので、
堅苦しい説明ばかりになってしまう文章を柔らかくすることができる。

 

こう言われるともっともらしいですが、この考えは
「書き手目線」を脱しておらず、真の意味で「読み手目線」になっているとは思えません。

 

なぜなら、ブログ記事の訪問者というのは基本的に

「自分が知りたい情報を得たくて検索してきている」

からです。

 

テレビCM、雑誌、ポスター広告などは

「興味のない人をも引き付ける」

ということを目的にしておりますが、

ブログ記事は検索者自ら望んで情報に触れようとしている

というのが他のメディアと大きく異なる点です。

 

あなたが何かを検索する時、何を求めているでしょうか?

 

検索する=何か疑問がありその解決方法を探している

 

ということであり、率直にその疑問の解決方法を書いている記事を求めているはずです。

 

これは逆に言えば

「疑問を解決してくれる情報が書いていない記事は読みたくない」

ということでもありますね。

 

そして、こうも言うことが出来ます。

「自分が求めている情報や興味のある情報が書いてありそう、と思ったら全部読む」

 

例えばあなたが「住民税を安くする方法」に興味があったとするなら、
いくら住民税の話が堅苦しいといっても「住民税を安くするヒント」
が書いていそうな所は全部読むでしょう。

 

「長いコピー(文章)ほどよく売れる」

というのは広告における鉄則でもあります。
なぜなら、人は「選択肢が多いこと」に迷うのであって「情報が多いこと」はメリットだからです。

 

文章が柔らかいか堅苦しいか、という視点よりは

「この記事に書いてあることは全部読んでみたい!」という興味を引き付けることの方が重要なのです。

 

その「興味を引き付けること」がより簡単に出来るのならば
会話形式の記事にする意味もあるでしょう。

 

ただ先ほども言ったように検索者は

「自分が知りたい情報を得たくて検索してきている」

という心理状態で記事を読もうとしています。

 

会話文を使った記事を書いていると

何が言いたいのかよくわからないことをダラダラ書いてしまう危険性

というのも少なからず存在するわけです。

 

特に読み手は「記事全体をザーッと流し読みして目立つものや興味が惹かれるものから読む」という行動を頻繁にしています。
そして、そこだけを読んで「この記事を全部読むかどうか」の判断材料にすることもあり得ます。

 

逆に言えばそういうポイントごとにいかに注意・興味を引き付けられるかが重要です。

 

そうしたポイントで何が言いたいのかよくわからないことをダラダラ書いていたら・・・

 

これは私個人の感想ですが、検索で引っかかった記事が会話形式のものだと

「茶番は良いから早く情報を書け」

という風に心の中で毒づいています。

 

 

AA

確かに会話形式の記事って茶番かもしれないね・・・

BB

僕らはどうしても文章を書く時に自分が書きたいことを書いてしまいがちだからね。

AA

ここに書いていることも「読むのめんどくさい」ってスルーされてる可能性あるよね。

 

さて、この会話文を見て率直にどう思いますか?

 

これは私の書き方が下手なのかもしれませんが「茶番」以外の何者でもないでしょう。

 

余計な茶番を書くくらいなら初めから地の文だけで良いのです。

 

著名人のインタビューというような記事であれば別ですが、
そうではない場合にあえて会話文を使った形式の記事にすることのメリットは
それほど無いように思えます。

2.文字数を水増しすることができて検索上位表示できる(SEO対策)

「会話文を使うことで文字数を増えてそのままコンテンツにできる」

 

これは「LUREA」というアフィリエイト教材の「ブラッドライティング編」
に書いてあった言葉です(言い方は多少変わっておりますが要旨は同じ)。

 

つまり文字数が水増し出来て検索上位表示しやすい、と言っているわけですね。

 

記事作成においては、なんとなく暗黙の了解で

「文章量が多いほど検索上位表示に有利」

という「長文SEO」の考え方がありますよね。

 

しかし、これについてGoogleのジョン・ミューラー氏は次のように語っています。

 

Googleには、例えば「100語以下じゃダメ、200から500語ならOK、500語以上で画像も多ければ最高」みたいな、そんなアルゴリズムはない。Googleはそのようには見ていないんだ。

Googleはページ全体を見て、それが本当に他より優れていてユーザの検索意図にかなったものかを評価している。そんなページでさえあれば、文章の長短、画像の量などは好きにしていい。

 

完全に「長文SEO」を否定しています。

 

要するに「長文なら検索上位表示できる」のではなく

「ユーザーの検索意図にかなったものを作ろうとすると情報量が豊富になり、結果として長文になる」

ということなのです。

 

中身の薄いコンテンツを文字数を水増しするために書く、というのは
SEO対策の本質からすると全く無意味なことです。

 

むしろこういった文字数の水増しというのは

「余計なことが書いてあって本当に必要な情報がどこに書いてあるかわからない」

というユーザーの検索意図から掛け離れた事態を引き起こしかねません。

 

それならば地の文だけでスッキリ読ませた方が良いです。

 

少なくともGoogleの検索上位表示の基準として

「ユーザーの利便性を第一に考えたコンテンツであること」

というのは、検索技術が進歩しても変わらないことですので、
それと逆行するような水増しコンテンツはいずれ淘汰されていくはずです。

ただ文章を長くするのではなく情報の密度を濃くする

 

これが王道であり不滅のSEO対策のはずです。

 

そもそも私自身は「本質的にSEO対策は不要」という持論を持っておりますけどね。

>>なぜ「SEO対策は不要」と言えるのか

 

3.言いにくいことを客観的に語れる

言いにくいことや厳しいことをキャラクターに喋らせる。

 

これは漫画家が自分の主張をする際に使う手法でもあります。

 

ただ、何らかのテーマに関して情報発信をするというブログの性質を考えると
あえてキャラクターに言いにくいことを言わせる必要はありません。

 

「全く、何でどの記事もこんなくだらない茶番ばっかりやってるんだ?」

私は会話形式の記事を見るたびにそう思っていました。

 

こんな風に独白と地の文だけで感情の動きというのは十分読み手に伝わるからです。

 

もしキャラクターに何か言わせるとしても、そのセリフは

「おそらく多くの読み手が今考えているであろうこと」

でなければ意味がありません。

 

ごくごく少数の人しか抱かないような疑問や極端なことを言わせたところで
それに対する共感は生まれませんし、読もうという意識も生まれません。

 

かといって、読み手が考えているであろうことなら
あえてキャラクターに喋らせる必要はありません。

 

「じゃあどうやって読み手が考えているであろうことを言えばいいの?」

 

とあなたは思うかもしれません。

 

これが答えなのです。

 

こんな風に読み手が考えているであろうことを先読みして言ってから

「~とあなたは思うかもしれません。」

と続ける形にすれば良いのです。

 

自分が感じていること、読み手が感じていること、
そのどちらであろうとも「」で区切って
その感情を表せば良いだけのことであり、あとは地の文で良いのです。

総じて言えるのは「別に会話文じゃなくても出来る」ということ

「会話文を使うこと」によるメリットを話してきたところですが、
その

「別に会話文を使わなくても出来る」

ということなんですよね。

 

・堅苦しい説明ばかりの文章を柔らかくする
→それよりも「全部読みたい」という興味を引き付ける方が大事

・コンテンツを水増ししてSEO対策になる
→長文にするのではなく情報を豊富にすることが本来のSEO対策

・言いにくいことを客観的に語れる
→独白と読み手の考えを先読みするセリフを入れれば良い

 

結局これは会話文を使うことよりも

「コピーライティングを身に付ける方がずっと得」

ということになるのです。

 

少なくとも、考えなしに柔らかく見えるからとかみんなやってるからという理由で
会話文を用いた記事を作るくらいならもっと「本質的」なコピーライティングを身に付けた方が
ずっと良いと思います。

個人的に地の文だけで会話文を使わない理由「1対1のコミュニケーションという意識が薄れる」

さて、これまでお話したのは

「会話文を挿入することによる客観的なメリット」

だったわけですが、ここからは完全に私の主観
地の文や会話形式の記事の在り方を考えてみたいと思います。

 

「文章を書く時は講演会で観客に語り掛けるような気持ちで」

 

これは私がビジネスを教わっている人物から教わった言葉です。

 

そして、講演会で観客に語り掛けるような気持ちというのは
一見矛盾するようですが「その人一人一人に対して語り掛ける」
という気持ちを持つ必要があります。

 

文章で何かを語り掛ける時には

「まるで自分一人に向けて言われているようだ」

そんな感覚を読み手に持ってもらえることで
こちらが発信するメッセージに対して耳を傾け、
主張に共感してもらうことが出来るわけです。

 

 

例えば救命措置の講習では、倒れた人を発見した時に

あなたは119番へ通報してください!あなたはAEDを探してきてください!」

と、「あなた」と指名することを推奨しています。

 

誰か119番へ通報してください!誰かAEDを探してきてください!」

では「自分以外の誰かがやるだろう」と考えて誰もやらないからです。

 

ブログ記事においても「皆さん」と呼びかけるのではなく
「あなた」と呼びかけた方が話を聞いてもらえます。

 

これはワンパーソンの法則なんていう風に呼ばれていますね。

 

そういった

「あなた一人に対して語り掛ける」

という気持ちを持って文章を書いてこそ、
「熱意」「魂」がこもったメッセージになり心を動かすことが出来るというわけです。

 

この「1対1のコミュニケーション」の気持ちを持って文章を書いていると
私本人の意識が最も色濃く出る地の文の方が良いですし、
自分と関係のない第三者の会話を突然登場させるというのが
「茶番」どころか「お人形遊び」にすら思えてくるのです。

 

せっかく途中まで記事を一生懸命読んでくれていたとしても、
読み手の熱意が高まっていったとしても、
途中で「お人形遊び」が入ることで読み手の意識はそこでいったん
「中断」することになります。

 

そういった意識の中断をさせずに

「早く次を読みたい!」

という興味を与え続けるためには
地の文を書いて自分自身の言葉で伝えるのが一番だと思うのです。

 

少なくとも私は、誰かに何かメッセージを伝える時に
第三者を介して伝えたいとは思わないし、自らの言葉で伝えることが
「熱意」「魂」を乗せて人の心を動かす力となると思っています。

 

これはおそらく運営するブログのジャンルにもよるでしょう。

 

雑談系ブログ、ネタ系ブログなら会話形式の記事も良いと思いますが、
アフィリエイトを始めとした

「読者の役に立つ情報を提供しつつ利益も得る」

というビジネス目的のブログ記事であれば、よほど奇抜なコンセプトでもない限り
「登場人物に会話をさせる」ことはメッセージの真剣度を薄れさせる
危険の方が高いと思います。

 

先ほどは

・会話文を用いた記事がどんなものかイメージさせる

・会話文を用いると「茶番度合い」が増すことを実践で説明する

 

という極めて限定的な状況が出来上がったので使いましたが、
会話文を用いることは二度とないでしょう。

 

これは個人的な好き嫌いもあるところだとは思いますが

「1対1のコミュニケーションという意識が薄れさせないために」

これこそが、私が会話文を使わず地の文で記事を書き続ける一番の理由です。

シェアしてくれたご恩は忘れるまで忘れません。